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市場について

鹿児島市中央卸売市場魚類市場とは

鹿児島市に中央卸売市場ができたのは、昭和10年11月3日で、全国で7番目、九州で初めての中央卸売市場でした。

魚類市場は、1615年に、島津家の時代にできた納屋馬場(ナヤンババ)の市場が始まりで、今の魚類市場は昭和42年に青果市場とわかれて、できたものです。

卸売市場は生鮮食料品を迅速かつ効率的に分荷し、公正・公平な売買取引を行う必要があります。市場はこのように公益性が強く、また大規模な施設と膨大な費用を要することから、鹿児島市が開設、運営し、公正効率的な取引と衛生の維持に努め、住民の食生活の安全を図っています。

鹿児島市中央卸売市場魚類市場の役目

魚類市場は、わたしたちの毎日の食生活に欠かすことのできない魚、貝、海藻などの生鮮食料品を卸売するための市場で、卸売市場法に基づいて、鹿児島市が農林水産大臣の認可を受けて開設しています。

水産物などの生鮮食料品は、鮮度(商品価値)が低下しやすく、長期の保存が困難で、品目も多種多様にわたっています。そのうえ、自然条件に左右されやすいので、価格が常に変動しがちです。このため、卸売市場は生鮮食料品を迅速かつ効率的に分荷し、公正・公平な売買取引を行う必要があります。

魚類市場は、鹿児島市の管理のもとに次のような役目をはたしています。

  1. 大量かつ効率的な集分荷
  2. 多種多様な品目の豊富な品ぞろえ
  3. 適正な価格形成
  4. 確実・迅速な決済
  5. 需給にかかる情報の収集及び伝達など

これらの機能を果たすことによって、消費者に安全で安心な生鮮食料品を安定的に供給し、出荷者には信頼できる継続的な販売ルートを確保します。

市場での販売の流れ

市場の流れ
市場の流れ

市場の歴史

魚類市場のあゆみ

鹿児島市における生鮮食料品卸売市場の歴史は古く、元和元年(1615年)島津家久によって納屋通(現在の中町)にご用魚問屋が設立され、全盛期には48軒の問屋が軒を連ねていました。

中央卸売市場としては、昭和10年4月に国の開設許可を受け、同年11月3日、全国で7番目、九州では最初の中央卸売市場として鹿児島市が開設しました。

開設当初は、青果市場と魚類市場は併設していましたが、取扱量の増大や車両の急増等による狭あい化及び施設の老朽化などの理由で、魚類市場が昭和42年4月に現在地の城南町に移転し、青果市場は昭和51年11月に現在地の東開町に移転しました。中央卸売市場は生鮮食料品流通の基幹的インフラとして住民の食生活を支えています。

1935年(昭和10年) 鹿児島市洲崎町(現・住吉町)に鹿児島市中央卸売市場として開場
1945年 (昭和20年) 空襲により焼失、バラックからの再開
1967年 (昭和42年) 現在地(城南町)に魚類市場が移転
1976年 (昭和51年) 東開町に青果市場が移転
2009年 (平成21年) 鹿児島市中央卸売市場整備計画策定
2012年 (平成24年) 鹿児島市中央卸売市場魚類市場再整備基本計画策定
2018年 (平成30年) 市場棟(1工区)完成 新市場棟供用開始
2021年 (令和3年) 市場棟(2工区)完成
初 代
九州初、全国でも7番目の中央卸売市場として誕生
[1935~1967]
昭和10年開設
旧洲崎町に、青果物と水産物の総合市場として業務を開始した。戦争で全焼するも、復興工事を経て昭和42年まで戦後の発展を支えた。
市場開設記念写真
市場開設記念写真(昭和10年11月撮影)
市場全景
二代目
経済発展とともに、 南九州の物流拠点へ
[1967~2019]
昭和42年移転
昭和42年4月に旧洲崎町から、現在の城南町へ魚類部を移転。青果部は、昭和51年に東開町へそれぞれ移転した。
市場開設記念写真
昭和60年頃のせり場の様子(青物売場)
市場全景
三代目
時代のニーズにあった、 高度衛生管理市場へ
[2018~]
令和3年度2工区完成
一年を通して安定した温度管理が可能な閉鎖型の卸売場を備え、鹿児島のみならず、全国や海外へ鹿児島の新鮮な水産物を届ける市場に。
市場開設記念写真
完成した2工区の様子
市場全景

2018年に「魚類市場市場棟(1工区)高床式卸売場」、2021年に「魚類市場市場棟(2工区)フラット式卸売場」が完成。新しい施設では、外気遮断による温度管理によって、コールドチェーン(低温流通)が可能となるため、より鮮度の高い魚介類を出荷できるようになりました。

「つながる人・もの フレッシュで活気あふれる市場を目指して」をコンセプトに、より魅力と活力あふれる市場づくりに励み、鹿児島の水産業の発展に重要な役割を果たすことができるよう、努めてまいります。